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内戦の先住民族への影響と和解のための課題

津川 聡(グァテマラプロジェクトチーム)

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はじめに

かつて中央アメリカに繁栄したマヤ文明は、巨大な石の神殿やピラミットを造り都市と都市の間に舗装された道を張り巡らし、特に天文学、暦学、数学などを発展させ、固有の文化と伝統を創りだし当時絶大な勢力を誇った。

その誇り高きマヤの人々がスペインによる征服を経て、第2のスペイン征服とも呼ばれる36年にも及ぶ内戦に巻き込まれ、主に政府軍による想像を絶する「夜と霧」を経て1996年12月にようやく国連の仲介を受け和平条約を結んだこの一連の出来事は日本ではほとんど知られていない。ましてや、そのマヤの先住民族がいまなお心に負った恐怖や悲しみに苦しんでいることなど日本のマスコミの関心さえ引かない世界の果ての出来事に過ぎないのかもしれない。

しかし、世界第2の経済大国となり世界中から資源と富を享受している日本で生活する私たちは、世界の諸問題に対して少なからずの関心とささやかな責任を持っても良いように思われる。又、第2次世界大戦にてアジアで起こした日本の戦争責任が依然清算されずに曖昧なままにされてきた経緯を考えるに、日本人にとって「和解」を考えることは極めて重要なことと思われる。この文章においては、中米グァテマラで20世紀半ばから後半にマヤ先住民族に起こった悲劇を振り返り、未来へ向けて「和解」を見つめその可能性を考えていきたい。

和解とは

ではマヤの人々にとって「和解」とは何を意味するのだろうか。「和解」(reconciliation)という言葉自体依然実務レベルや学界で定義が明確に規定されておらず実に幅広い意味で使われてきた経緯があるが、ここでは「マヤ民族が長期にわたり差別、搾取、迫害を受け家族を虐殺されてきた辛く悲しい想いを解放すること」として捉えていきたい。それではその辛く悲しい想いをいかに解放することができるだろうか。まずはなぜマヤの人々がそのような想いを持たねばならなかったのかを振り返りその原因を振り返った上で和解をみつめていきたい。

ジェノサイド

1961年から始まったグァテマラの内戦は、キューバ革命の影響を受けた左翼思想が社会の下層で虐げられてきた人々に浸透し組織化され左翼ゲリラとなって、中南米の共産化を阻止しようとする米国の支援を受けたグァテマラ政府軍との戦いで始まった。しかし、その左翼ゲリラ軍対グァテマラ政府軍との構図も年月を経るにつれ形を変え、1970年代始め頃からグァテマラ政府軍によるマヤ先住民族への虐殺の形相を帯びてきた。

左翼ゲリラの戦闘員であるマヤ先住民族青年男子だけでなく非戦闘員や女性、高年齢者、子供、更には生まれ来る妊婦の胎内の赤子に至るまで民族浄化ともいえるジェノサイドが行われた。国連レポートによると、少なくとも626の村が破壊され、死者・行方不明者は20万人以上、国内難民150万人以上、国外難民15万人以上の被害となり、特にその犠牲者の83%がマヤ先住民族となり地理的にもマヤの人々が多く住むキチュ県が最大の被害を受けた。国連では、この内戦を旧ユーゴやルワンダと同じくマヤ先住民族に対するジェノサイド(大量虐殺)と規定した。

その特殊性

「和解」を考えるにあたり、マヤ民族がどのようにグァテマラ政府から迫害されてきたかをみていこう。まず、始めにマヤ先住民族のコミュニティーの崩壊が挙げられる。本来マヤの人々は、伝統的権威者を中心に隣近所同士が互いに助け合い共同体全体が大家族のような緊密な相互援助関係を築いていた。

しかし、共同体をゲリラ支援基盤と見ていた政府はその壊滅を計り家々を焼き払い田畑を荒らし、年長者や共同体の伝統的権威者や少しでもゲリラとの関わりのあるとされた人々を連行し殺害した。ある者はゲリラとの関わりがないことの証明として半ば強制的に政府軍へ入隊させられ、またある者は政府軍と闘うためにゲリラへと身を投じていった。

政府軍の兵士となった者たちは、自らの村の家々を打ち壊し人々を虐殺していったことも多くあった。家族内で政府軍として闘う者とゲリラとして闘う者もいた。紛争後、カトリック教会が中心になって人権侵害被害者の証言を集めた「歴史的記憶の回復プロジェクト(REMHI)」では、3件に1件が顔見知りの人間が加害者として参加していたとの証言があったと記されている。

中には加害者が被害者と親類である場合もみられた。このようにマヤの伝統的な共同体では、村々は壊され焼き払われ精神的支柱だった伝統的権威者亡き後、人々は互いに疑心暗鬼に陥りいざこざが起こると武力で解決していく風潮が広がり、マヤのアイデンティティの基盤となる社会慣行の多くが崩壊した。

次にマヤ民族の精神的な壊滅が挙げられる。政府は公衆の面前で拷問や虐殺を繰り返しおこない、恐怖を先住民に植え付けると共に意図的にマヤの伝統や文化に基づき精神的・情緒的に苦しめ、再び抵抗をしないように完膚なきまでに打ちのめした。政府は大学や研究機関からリクルートした社会学者や人類学者などによりマヤ民族の社会的文化的民族的特徴を地域ごとに丹念に調査し、最大限に恐怖心を掻きたて統制力を強めようとした。例えば、虐殺などはクリスマスなど地域の宗教や民族儀式の重要な日を選び、場所も代々マヤが儀式を執り行なってきた聖地や教会で行ない恐怖心を増大させた。

又、マヤの文化では死者を極めて丁重に扱い伝統的な儀礼に基づいて埋葬が行なわれるが、死体を触れたり埋めたりすることを軍により固く禁止され意図的に弔いを妨げた。無残に残された死体の多くは、聖地や教会にそのまま放置され獣が漁るままにさせ、死者の尊厳を傷つけることで生者の恐怖心を助長させ統制を強めようとしてきた。こうして、マヤの伝統や文化の側面から恐怖心を意図的に最大限に引き出し精神的に大きな打撃を与えた。

最後にこの政府によるマヤ民族への36年の虐殺には、500年にもわたる先住民族に対する歴史的な迫害と差別からきていることを指摘しなくてはならない。そもそも、ゲリラ一掃から始まった政府による戦いが次第に対マヤ先住民族へとその対象が変化していったのもこの辺りに主な原因があるように思われる。コロンブスがアメリカ大陸に到着し先住民に3ヶ月ごとに1オンスの金を献上するように命じた時から基本的に現代に至るまで搾取・被搾取の関係は変わっていない。

マヤ先住民族は先祖から受け継いできた土地を奪われ、資源を剥ぎ取られ自らの宗教も言語も奪われ奴隷のように扱われてきた。その綿々と受け継がれてきた搾取・被搾取の歴史に中で、中南米に浸透してきた共産主義思想により先住民たちが組織化を計り、一部がゲリラとなって抵抗してきたことは支配者にとっては身の毛もよだつ恐怖だったに違いない。

又、先住民族たちが公用語であるスペイン語を母語とせず、支配者とは異質の先祖代々受け継がれてきた文化や慣習を守り生活してきたことも、更にその異質さが恐怖心を助長させたとも言えるだろう。こうして、支配者たちが自らの地位と立場と財産を奪われるのではないかとの恐怖心が理性を喪失させマヤ民族虐殺への道の主な原動力となっていったと思われる。

マヤ民族にとっての「和解とは」

1996年国連の仲介で「恒久的和平協定」が調印された。そこでは人権の保障とその促進、難民や国内避難民の帰還と再定住、全住民族のアイデンティティと権利の保障などと共に真相究明委員会の設置の内容が盛り込まれた。真相究明委員会とは、ドイツ人国際人権法学者のクリスチャン・トムシャット氏が国連事務総長により任命され代表となり、紛争期間において行なわれた人権侵害と暴力行為を調査し国民和解に向けた勧告と報告をおこなうものである。

1999年に発表された勧告では、

1)犠牲者の記憶の保全、

2)犠牲者への補償、

3)相互尊重・人権擁護の精神の醸成、

4)民主化の強化、

5)平和と国民調和を進めるための措置、

6)以上の勧告を実施していくための新たな機関の設置、の6つの項目が挙げられた。

又、グァテマラ政府と政府軍及びそれらを後方支援してきた米国政府の責任を厳しく指摘する報告書が公表され、その2週間後には、グァテマラを訪問したクリントン米国大統領(当時)がグァテマラ政府と情報機関に米国が加担したことでグァテマラの人権侵害と暴力行為が助長されたことを認め、米国政府の支援は誤りだったとグァテマラ国民に謝罪するなど大きな成果をあげた。

しかし一方で、真相究明委員会の勧告内容を含めこの調停自体も欧州諸国政府やカトリック教会、そして国際NGOなどの国際社会からの圧力がかかり、他国との経済関係を損ねてはいけないとの思惑からやむをえず紛争を終わらせた経緯があり、グァテマラ政府は積極的に先住民との和解を積極的に進め真相究明委員会の勧告を始め和平協定の履行していくことはなかった。ゆえに協定文に記載されていた500項目以上の履行事項の進展状況も芳しくなかった。

その後、犠牲者グループ、マヤ先住民族、人権擁護団体が勧告事項の実現に向けての連合体を結成し地道に政府への働きかけてきた結果、2002年11月にグァテマラ政府は「土地と住居、賠償、精神的リハビリテーション、犠牲者の尊厳」に関する国家賠償計画法案を国会に提出することとなり、ようやく新たな進展を示している。

しかし、過去の紛争時代の遺物が多く残る社会の中、多くのマヤの先住民族は依然過去の拭い去ることの出来ない辛く悲しい暴力の記憶を胸にしまい苦しんできている。ではマヤ先住民族のこの辛く悲しい想いを解放する和解とはどのようなものになるのだろうか。

第1に明確なことは、「正義なくして和解はありえない」ことであり過去の紛争で起こった罪を徹底的に裁き清算する必要がある。真実が闇に葬られ罪を犯した者たちが正当な裁きを受けずにいる社会で人々は明日に希望を持ち健全に生きていくことができるだろうか。過去の過ちの真実を明らかにし法の下に裁き清算してこそ始めて和解の最初の一歩を踏み出すことができる。

第2には過去の記憶を取り戻し明らかにすることだ。マヤの人々は、自らの生命を守るために過去の忘れがたい悲惨な過去の暴力を誰にも伝えることなく胸にひっそりとしまい暮らしてきた。その過去の恐怖の記憶は決して消し去ることはできないが、同じような境遇をしてきた信頼にたる者たちに話しその経験を共有し理解してもらうことで、その恐怖の記憶を昇華し過去の出来事と決別することができ新たなステップに立つことができるのである。

又、こうして過去の紛争の記憶を明らかにすることは、真実を再構築していくことだけでなく加害者の罪を明確にしていくことにもつながる。事実、REMHIの活動で「勇気づける人々」「働きかける人々」を意味する「アニマドーレス」(animadores de reconciliacion)と呼ばれる訓練を受けた調査員が紛争犠牲者への聞き取り調査を行なった。アニマドーレスは共同体の中からの志願者によって構成され、自らの村々に入り犠牲者たちの話に耳を傾けた。

このREHMIのアニマドーレスの活動により、生存者の長く胸の内に秘めた恐怖の経験を聞き出し、1人1人を沈黙から救い出し死者の尊厳を取り戻していった。更に記憶には明らかに未来に向けての暴力抑止効果があり、過去の悲惨な記憶がある限り暴力は抑制されていくことにもつながる。

第3マヤ民族の人権と尊厳の回復が不可欠なことだ。内戦を通して政府は2度と先住民が政府に抵抗してこないように徹底的にマヤ民族の人権を無視し尊厳を踏みにじってきたことは上述した通りだ。その結果、恐怖心や哀しみ、孤独感、無念さから健康被害を引き起こしたり、将来に対する無力感から生きる気力さえ失ってしまうことさえみられた。

このような状態から人権と尊厳を回復していくには、上述した過去の記憶を吐露し恐怖とトラウマを乗り越えていくことと共に「遺体の発掘」が重要になってくる。内戦時、政府は大規模な虐殺行為を隠すために各地に何百といわれる秘密墓地を作った。

その際、万一後から死体が見つかっても認識できないように遺体を切断し可燃物を注ぎよく燃やした上で遺体を埋めた。繰り返すことになるが、マヤの人々にとって死者は生者にとって特別な存在になる。この世に生きている者たちは、あの世に行った死者たちの存在ゆえに暮らしが成り立つとされ、死者の遺体はマヤの伝統儀式に基づいて正規の埋葬を経てあの世に送り出されていく。

このマヤの喪のプロセスを経ることができないばかりか、どのように殺され何処に遺体を埋められたのかも分からない家族や生きているのか死んでいるのかさえも分からない行方不明の家族を持つものにとっては、実に切実な問題となっている。

ゆえに「遺体の発掘」が進み身元が判明し家族と再会しマヤの儀礼での埋葬をしてはじめて死者とこの世に残された者との和解が成立することになる。全ての遺体を発掘するのは多くの時間と多額の費用がかかるため遅々として進んでいないが、実際多くの家族が遺体のある場所さえ分からずにいることから死者の記念碑を建立し象徴的に家族と再会する場を提供することも必要になってくるだろう。

こうして死者の尊厳を取り戻すことを通して生存者自信の尊厳を肯定し人権を取り戻していくことになる。又、個々の恐怖の記憶を克服し人権と尊厳を回復せしめば共同体の復興も可能になってくる。伝統的権威者を中心としたマヤの共同体に戻ってくることになるだろう。

最後に、「マヤ民族にとっての和解」が中南米の先住民としての歴史をかけた和解でもあることの認識が大切となってくる。植民地化以来、白人やラディーノからの差別、搾取、迫害を先住民たちは受けてきた。1776年に「全ての人間は平等に創られている」と声高らかに「独立宣言」を宣誓した米国でさえ、1960年代まで黒人に対する差別が公然と行なわれ現在に至っても依然根強く差別は残っていることを考えると、中南米での先住民に対しての差別の意識を克服するには長い年月が必要になると考えるのが妥当かもしれない。

しかし、1992年にグァテマラの先住民族女性であるリゴベルタ・メンチュウがノーベル平和賞を受賞したことに象徴されているように国際社会の大きな人権擁護の後押しがあり、又それ以上にメンチュウのように先住民としての誇りと尊厳と勇気をもって差別や迫害と闘う人々がいる限り和解の日は必ずやってくるはずだ。

おわりに

 2002年7月にジョン・パウロ2世がグァテマラ到着後の最初の言葉が「地で染められたこの国において、和解と希望が前進しますように」だった。形式的な民主主義社会の中、依然紛争時に犯罪に手を染めた者たちが政府の要職に就きリンチや誘拐が蔓延こり貧困が悪化している中でのパウロ2世の言葉は、貧しく過去の恐怖に苦しむ人々にとっては心に染み入る希望の光りだったに違いない。

移ろいやすい国際社会の関心を当てにするのではなく、過去のジェノサイドへの関与を一切否定しているグァテマラ政府を人権裁判所に訴え、また手を取り合って地道に政府や国際社会に働き続けて国家賠償計画案を国会に提出させ得たように先住民の一歩一歩の着実な真実と正義の獲得が今後ますます重要になってくるだろう。

遠く離れた日本においても、和解は近隣アジア諸国との間の主要な外交テーマになっている。マヤの人々にとっての和解が「過去の争いの真実を明らかにし記憶を取り戻すこと」だったように、私たち日本人にとってももう一度「過去の争いの真実を明らかにし記憶を取り戻」し、アジア諸国と真実の再構築を計る必要があると思われる。そうした認識に立ってこそ、和平調印後のグァテマラへの最大の援助国である日本がはじめてグァテマラに本当の生きた援助ができるようになるのではないだろうか。

【参考文献】

・歴史的記憶の回復プロジェクト編 飯島みどり/狐崎知己/新川志保子訳 「虐殺の記憶」 岩波書店 2000年
・伊従直子 「グァテマラ先住民の女たち」 明石書店 1996年

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