カロリーナ・サンチェス日本スピーキングツアー

3月13日

よみかき・きょうしつ・とよなか  紀野鉄男

 カロリーナさんとIMADRの中村隼人さんを、「よみかき・きょうしつ・とよなか」(識字学級)へお迎えして交流した。カロリーナさんたちが東京から関西へ移動して一日目、3月13日である。

 伊丹空港から、まず豊中国際交流協会を訪問した。ちょうど、おおぜいの外国人が日本語を学ぶクラスが熱心に活動している時間だった。カロリーナさんも参加者の一人として「日本語入門」をした。また、数少ない大阪在住のグァテマラ生まれの人から歓迎をうけ、ふるさとのようすなど語りあった。 

 豊中国際交流協会から歩いて豊中市岡町北三丁目にある「豊中人権街づくりセンター」(もとの豊中解放会館)へ移動した。この建物の三階にある図書室で、毎週木曜日の夜七時半から「よみかき・きょうしつ・とよなか」をひらいている。 

 時間にゆとりがあったので、向かい側にある「いこい食堂」で、ゆっくり夕食をとった。この店は、よみかき・きょうしつのメンバーが、家族といっしょにいとなんでいる。二人の息子をつれたフィリピン人のお母さんが、さきにきてまってくれていた。

 先生や、スペイン語通訳の応援にきてくれた人や、センターの職員など、つぎつぎと仲間がふえてきた。「焼き肉定食」やうどん、そば、お好み焼きなど日本ではおなじみのメニューから、めいめい好きなものを注文して、にぎやかな交流の夕食会になった。

 七時半、「こんばんわ」のほかに、「ヴェノスノーチェス」「アンニョンアセヨ」「マガンダンガビイ」さらに手話と、子どもたちをふくめると二十人をこす参加者ぜんぶのことばであいさつをした。さらに軽く体操をして、よみかき・きょうしつがはじまった。子どもたちは、となりの部屋でベビーシッターのお姉さんと遊んでいる。

 みんなで、大きなテーブルをかこむ。地球儀や大きな世界地図で「グァテマラ」の位置をたしかめる。つづいて、IMADRから送ってもらった資料をもとにつくった「ようこそ豊中へ グァテマラのカロリーナさん」という題のプリントがくばられる。カロリーナさんが1980年に、メキシコ国境に近い山のなかのムラで生まれたことから、現在のようすまでを、短くまとめたものだ。

 一人2、3行ずつ、つぎつぎと読み手を交代しながら、読みすすむ。分からないところは、書いてある内容の、ご本人がすぐ答えてくれた。学校は10歳で「いくのをやめた」こと、12歳のときからメキシコへいって「家政婦としてはたらいた」ことなどは、カロリーナさんだけのことなのか、みんなよくにた状態だったのかなど、いろんな質問がでた。いま「学校の先生になる」ために勉強していることについては、収入は多くないが、地域の人たちとむすびつきたいからだとのことだった。 

9時が近づいて、カロリーナさんが、おわかれのあいさつをした。彼女は「いまお話しただけではなく、本当はもっと長く、いろんなことがあるのです」と語った。「私の歴史」の具体的なありようを強い力で左右してきた「スペインの侵略」「内戦」「政府のシステムの問題」などと、カロリーナさんたち先住民族の女性たちとのかかわりについて、語ろうというところで時間がなくなり、残念だったという思いが伝わってきた。これは4月24日からスタートする新しい年度の活動の課題にふくめたい。

 彼女のあいさつの内容は、およそつぎのとおりだった。

 《カロリーナさんのあいさつ》

 今日はこうしてみなさんとお話できて、ほんとうに楽しく、そしてうれしく思います。じつは私の歴史というのは、いまお話しただけではなく、本当はもっと長く、いろんなことがあるのです。残念ながら今日は、時間の関係もあり、すべてをおはなしすることができませんでした。

 グアテマラでは、36年前から内戦がつづいています。政府が貧困層、そして先住民族にたいして、攻撃をしかけてきました。そして、そのなかで犠牲になったのは、いつも女性であり、子どもでした。もっといえば、500年まえ、スペイン人が侵略してきたときからずっと、このような状況がつづいているのです。

 これは政府のシステムの問題でもあります。グアテマラはもともと、豊かな園でした。分けあうことができる国でした。いまでは一部の人だけが富を享受し、みんなに等しくいきわたらないようになっています。内戦のなかで、たくさんの、つれあいをなくした女たちや孤児たちが生まれました。メキシコに逃げた人もいますし、グアテマラ国内で国内避難民となった人もいます。

 今回、日本にくることができたのは、私にとって貴重な経験です。国に帰ったら、私のムラの人たちとこの経験を分かちあい、さまざまな活動に活かしたいと思っています。ほんとうにありがとうございました。