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「グァテマラと私」
上野 由加利
■グァテマラからのゲスト
複合差別研究会が、グァテマラの女性をゲストにした公開研究会をすると聞いたとき、たまたまどこかの団体が、国際交流かなんかの催しで招致したついでに、富田林でも受け入れるということなのかなと思っていた。だから私は研究会開催の数日前に、「ただ民族衣装を着て、一緒に歌ったり踊ったりして『国際交流』とよぶような時間にはしないで欲しい」と、不躾にも事務局に申し出てしまっていた。
公開研究会の当日、まだ参加者が少ない時間に顔見知りの友人と話をしながら、民族衣装を身につけた『それらしい』人を目で探したけれど見あたらない。「グァテマラの人は?」とスタッフに聞くと、その場にいた小柄な女性を向いて「この人がそうです」と教えてくれた。ゲストは民族衣装ではなく、普通のセーターとデニムのパンツ姿で立っていた。
黒い髪と黒い瞳の彼女は、日焼けした日本の女の子だと私の目に映っていたのだった。
グァテマラからはるばるやってきた彼女はエルビア・カロリーナ・サンチェス・ディアスという名前で23歳。エルビアと呼ばれることもあるし、カロリーナと呼ばれることもあるらしい。(その日はもっぱらカロリーナさんと呼ばれていた)姓にあたるサンチェス・ディアスは、父方の姓と母方の姓を合わせたもの。顔立ちや外見は日本人そっくりでも、名前ひとつとっても、いろんな違いがあるのだなあと感じる。
カロリーナさんは、自分はマヤ先住民族だと語った。グァテマラの社会は人口の大半がマヤ民族で、多数のマヤ民族コミュニティ(村)がある。しかしマヤ先住民族は、少数の白人、アメリカ人やスペイン人によって権利を奪われ、抑圧されている。白人がオーナーである大農園での強制労働や低賃金労働など、かつては法律で職業が義務づけられていた。貧困は教育を受ける機会を奪い、低学力はまた貧困を産むという差別の悪循環に陥っている。
またマヤ民族にも多様な文化があるが、あるコミュニティでは、学校でマヤ言語を使うことや普段身につけている民族衣装を着ることを禁止していたという、どこかで聞いたような話しも語ってくれた。
日本では、被差別民衆をさすときに「マイノリティ」とよぶことがある。多数派が少数派の人権を無いがごとくに見なす、という構図になるのだろうか。けれどもグァテマラやアジアの国々など、少数派が冨と権力を独占し、多数の民衆を抑圧支配していることがよくある。数の上でのマイノリティ=被抑圧者というわけではないのだ。
そして日本でも、法律などで規定した「身分による支配」こそないけれど、一部の少数派が冨と権力を独占するという「階級による支配」は今なお続いている。カロリーナさんからグァテマラの話しを聞くこの場は、いろいろな「違い」から光りをあてることで「同じ」本質を照らし出し、あらためて見つめ直す機会だったのだ。
■教育
カロリーナさんは現在、教師をめざして養成課程の学校に行っているが、彼女自身は10歳で学校へ通うのを辞めざるを得なかった。それは、低賃金で働く両親にかわって幼い兄弟の世話をしなければならなかったからでもあるし、学校の建物も、教師の数も少なかったせいでもある。また、教師の抑圧的な態度にもがまんできなかったと話していた。
実際、あるコミュニティでは「民族衣装を着ることを禁じる学校へは行かない」と放棄している例もあるという。けれど彼女は「勉強ができることで、少しでも賃金の高い労働に就くことができるから」と、低学力と貧困の循環を絶つために教師をめざしている。
グァテマラの政府は、国際社会からの批判を畏れて「1人につき、5人の非識字者をつくること」というキャンペーンをしている。しかし目標は掲げるものの、政府の具体的な支援施策は全くなく、学生がボランティアで文字を教えているのが現状である。カロリーナさんも含め学生は、そのために本来の勉強もできないほど忙しいのだという。そのくらいグァテマラの非識字率は高い。
会場で配布されていた資料によると、1996年に武力紛争が終結し、人口の大半を占める先住民族の権利の保障を謳った和平合意が結ばれたとある。しかしその合意を糧に、抑圧から解放されるべき先住民族は、ほとんどその内容を知らないのである。
カロリーナさんが教師をめざすことの意味は、真に民衆の立場に立った学習支援のできる教師を増やし、差別や戦争に抗する「力」を持つ子どもを育てることなのだと思う。その話しは、部落解放運動の中でも「教育」が非常に重要視されてきたことを思い起こさせた。
■戦争と女性
参加者からの質問で、カロリーナさんの行っている活動団体で女性はどれくらいいるのかという質問が出た。貧困な生活を支えるためには賃金労働もしなくてはならない。さらに女性は家事労働を課される。その上、社会活動を担っていくというパワーを持つ女性はどれくらいいるのだろうか。そのパワーは女性にとって「何」を意味しているかは私も聞きたいと思った。「保育と教育は女性の担当だから」なのか。「せずにはいられない社会的使命感から」なのか。
カロリーナさんの回答は明快だった。活動の中で女性の占める数は多く、その理由は「男性は戦争で死んでしまった」からだ。グァテマラは戦争が終わって、まだ7年かそこらしか経っていない。36年間続いた戦争では、「南半球で最悪」といわれるほどの人権侵害が行われた。スパイの兵士が紛れ込んでいるという疑いで、政府によって先住民族の村がまるまる焼き尽くされた例がいくつもある。
また「貧困や差別の中では、家庭の中で子どもや女性が不満のはけ口として、暴力の被害にあうことがしばしば起こるが、そういったことはないのか」という質問もあった。
それには「家庭内のくわしい状況までは知り得ないので、多くがそうだとはいえないけれど、そういう話は全くないとはいえないと思う」と答え、暴力ということではむしろ、路上で女性がレイプの被害にあうという状況があることが問題だと話した。日本では表向き「暴力」をふるえないから、家庭という密室で行われるが、戦争の爪痕が残る状況では、女性や弱者に対する暴力は隠されないということなのかもしれない。カロリーナさんの家族も、彼女がそういった「暴力」に遭遇しないかを、とても心配しているのだという。
活動に対する反対と言えばそういった心配からであって、「女のくせに」や「女に学問はいらない」といった理由からではないというのは意外だった。戦争で多くの男性が死んでしまい、大量虐殺でマヤ先住民族の人口が減ったグァテマラの社会では、実際のところ男であれ女であれ、できる人間が行うしかない状況がそこにはあると思うし、それは(日本では見えにくいけれど)アタリマエの話しだと思う。
毎日大変な忙しさで活動している彼女が、そもそも社会活動に参加する気持ちを持ったのも「家族」がいたからだと話していた。
これは私感でしかないけれど、それは戦争という現実の中で、人権を守るための活動が肉体的な「生命」を守ることにストレートに結びついていたからなのだろうかと思う。一方日本では、心の「生命」を守るために人権を守る活動が必要なのではないかと思っている。
■これから
研究会のあと、別室で食べ物や飲み物を囲んだ「交流会」が行われた。お好み焼きを食べるカロリーナさんは、まだあどけない若い女の子だなーと思った。活動や戦争の話を語っているときの彼女は、随分大人びた感じだったけれど。遠いグァテマラの国で彼女が今行っていることは、部落解放運動の創生期といくつも重なっている部分がある。
部落解放運動の中でも、カロリーナさんのような志に燃えた女性リーダーの存在があったとしても不思議ではない。けれども私の少ない知識の中ではあるけれど、部落解放運動の中での女性の活動といえば、顔の見えない「母」という役割に束ねられてしか語られてこなかったように思う。
できればカロリーナさんたちの活動が、
HER STORYとして歴史に刻まれ、継承されることを望みたい。
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