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【翻訳=藤田護】
最初の一歩
私たちはマヤ暦の知識の内側に入り、その回復、振興、活用を図るために様々な方法を用いるという経験を重ねてきた。これらの方法は、プロジェクト過程の各段階や、そこで関わる主体に応じて様々であった。幾つかのデータを以下に記す。
暦の知識を得る段階では口頭伝承に依拠し、私たちの祖父・祖母に当たる年代の人々への聞き取り調査を多数実施した。テープレコーダーを用いて数百時間に上るインタビューを集め、これを幾つかのテーマに分類した(暦、精神性、組織、土地、伝統医療、夢、伝統、習慣など)。私たちは村々の重要な行事や儀礼に参加し、自分たちの暦の意味をその内側から把握するように努めた。
段階
・ 教区の側から、各先住民族の宇宙観、精神性、価値観、記号、独自のシンボルなどについて神学的に考察し、「神の言葉」を現地の文化的・社会的実情に基づいて肉付けすることが提案された。文化の内部に入り込みながら教化が行われるようになった。
・ 礼拝でキチェ文化独自の言語、儀礼、記号、シンボルなどを用いることの重要性について、教区内の各共同体との話し合いが持たれた。
・ キチェ語で学び、書くための方法を創出した。
・ キチェ語の筆記方法の教え方を学んだ。
・ 教区内のすべての共同体で、若者たちを組織し、研修を行い、キチェ語による読み書きを通じて文化に内在する価値観への考察を深めた。
・ 自らの言語で読み書きを学ぶにつれ、書かれた物を増やし、より豊かにしようという意識が生まれる。ここから、マヤの思想に関する小文や小さな物語などが書かれるようになり、先住民が書体でも自らを表現する能力を持つことが明らかになった。
ここで、言葉の背後には象徴的内容が存在していることの認識が重要である。言葉が学ばれるとき、先住民族の文化の構造が共に学ばれるのである。我々の祖父母が自らと同じように話すことを我々に教える際には、同時にマヤというルーツ根の内側から考えることを教えてくれているのである。母語で書くことを学ぶことは、我々の生活に存在する聖なる神秘に出会うことである。
・ 文化を学ぶ活動に携わる若者たちに対してこれらの点に関する意識化を行い、すべての共同体において、彼(女)らの祖父母、お年寄り、Chuchqajaw(マヤの聖職者)らとの関係作りを行う。これによって、(マヤ暦によれば)山中で行われるという儀礼・祭礼に参加し、祈りの言葉を収集・録音することを目指す。
・ 収集した言葉のテープ起こしを行い、これに関するワークショップを開催する。
・ Chuchqajaw、助産婦、指導者、助言者、お年寄りらとの実地調査を行い、彼(女)ら自身が両親などからどのような教育を受けてきたのか尋ねる。
・ 調査結果を起こし、テーマごとに分類し、教区内のすべての共同体と共にその分析を行う。
・ それぞれのテーマを深めるための調査を行う―260日のマヤ暦、母なる自然、教育、家族、物語、祖先の歴史、地域固有の役職、宗教、マヤ暦が教える祭礼・儀礼での記号とシンボル、夢、動物の世界と人間の世界との関係、死に関する概念と儀式など。これらの過程に関わるスタッフは、総勢で13人である。
・ 彼(女)らは隔月で教区全域の文化振興に携わるプロモーター60-70人と会合を開き、キチェ語での読み書きを習い、ミサ、ロサリオの祈り、キリストの苦難の道行き、神の言葉、子ども向けの教理問答などの訂正・修正を行い、文化の記号とシンボル、和解、マヤの職業、ポポル・ヴフ、母なる大地、マヤの宇宙観などに関するワークショップを開催する。
・ プロモーターらと協力して、教区の祭礼(コーラス、和解の儀礼、キチェ語を使った神の言葉の説教など)の礼拝を準備する。
・ プロモーターらは聖人の祭礼における礼拝の準備をとり行い、それぞれの村の人々に、我々の祖先の文化がどのような道を辿ってきたかについての知識を広める。また、彼(女)らは聞き取り調査の対象となるお年寄りを選び、各村での調査のテーマを絞り込む役割も担う。
・ 毎年の終わりに実施する「若者週間」における、文化に関連したテーマの準備の調整と助力を行う。
・ "Qamam"という名称の調査センターを持ち、ここでチームは調査内容のテープ起こし、修正、再生産などを行う。
・ インターネット上の教育、物語、歴史、詩などの文書を、サンタ・マリア・チキムラでの話し方に合わせて修正・調整する。
・ 精神性に関するワークショップに出席し、幾つかの教区で行われている礼拝についてのコースを提供する。
・ 同様の道を歩む他の教区との協調を図る。
チームとプロモーターが実施するすべての仕事は経済的収入につながるものではなく、自発的意思によって行われ、それぞれに使命感として共有されている。
個人的な経験
私は小さい頃からいつも、Tz'olol che'の村を囲む聖なる山々へ、祖父と共に行った。そこで、祈りや正しい態度を学んだ。感謝し、許しを請うことを学んだ。人生、富、家畜などが贈り物であることに気付いた。天の中心であり大地の中心でもある神を尊敬し賞賛するという大きな遺産を、私たちが祖父母から受け継いでいることをも学んだ。
最初はただの"uwi' numam"(孫)であった。祖父の道程に付いて行き、熱心に観察する見習いの子どもであった。次第に、彼に質問をし、また自らもそれに興味を持つような、同伴者となった。私は精神的なものが儀礼だけに限られているのではないことに気付いた。それは、各人の中に最も聖なるものとして存在するのであり、神が多様な形で姿を現すことを理解し、一定の規範に従って振る舞い、母なる自然、動物、夢などに現れる予兆やしるしを通して神の声に耳を傾けることを助けるものである。我々の祖父母や地域の人々はこのように生きているのであり、これは生の現実である。
この経験をどう分かち合えばいいのか、私の人生の最も内面的な部分をどう記録すればいいのか、よく分からない。過去に戻り記録するということは、傷に触れることでもあり、私の祖父母の人生が決して豊かではなかったことに触れることでもある。それは、母なる自然、鳥の歌声、仕事などに神の声を感じ取り、聞き取るようになった瞬間を記録することでもある。
私は私でしかありえない。祖父母の魂に守られ、助けられながら、精神的なものを学び、共有し、生き続けていくのだ。
私の名前はEduardo Leon Chicであり、農民であった父母とChuchqajawであった祖父母から生まれ、マヤのキチェ文化に属している。人生を通じて私は精神的なものと共に育ち、私の祖父母の人生を範としてきた。自然の心に、鳥の歌声に、そして天と地の中心である場所に、神が自らを現すことを教えてくれたのは彼(女)らであった。この信仰によって、私は神、人間、自然はすべてひとつの源から生まれ出たのであり、人類は皆が一本の木の新芽であることを理解したのである。
祖父母は、精神的なものの根と種を与え、それが私の人生を通じて私の家族やコミュニティと共に育ち、花を咲かせるようにと、私を育ててくれた。彼(女)らからは多くのことを学んだ。マヤの心理の大切な部分であるマヤ暦の使い方を学んだ。人生を価値あるものと見なし、他の人々に仕え、彼(女)らを私の人生の一部として愛すべきことを学んだ。そして、常に母なる自然の真実、愛情、尊敬、慈しみの念を持って話すことを学んだ。
コミュニティの中での調査と執筆の経験が、精神的なものに基づいた知恵を構築する上での、もうひとつの土台となっている。Chuchqajawと親密な対話を行うことで、私の祖父母から得た精神的な経験をより豊かにすることができた。私が自分自身と出会うことを助けられ、自分の文化の価値を醸成し伝達することに責任を持つようになった。
この経験を通して、私はマヤ文化における組織のあり方、心理、必要とされるもの、大地への愛などを知った。コミュニティの発展は精神性の存続と密接に関連していることを理解した。これらの経験はすべて、私がお年寄りたちの知恵の種をより豊かにし続けていく責任を背負うことにつながった。
教区での経験
我々の文化の価値観や記号とシンボルに基づいた教化が必要であるとの認識から、教区内の神父らの関心によって、そして私の心に祖父母によって種蒔かれた豊かさに基づいて、自分の知識を増やし、私を含めたマヤの人々がもつ特有の精神性について知りたいと考えた。1989年から97年にかけて、仕事の同僚らの助けも借りて、マヤのキチェ文化の世界観について、municipio内の村々で80人以上のお年寄りに聞き取り調査を行った。
テーマは、一年を260日とするマヤ暦、母なる自然、教育、家族、物語、古い歴史、地域独特のコミュニティに関わる仕事、宗教、マヤ暦の儀礼・祭礼における記号とシンボル、神と人間のコミュニケーションとしての夢の役割、動物の世界と人間の世界との関係、死に関する概念と儀礼などに及んだ。これらのお年寄りの何人かは既に亡き人なってしまったが、天と地の御心によって、彼(女)らの遺したものの一部は私たちの内に生き続けている。
文化の強化と地域独自の知識の再評価―その達成と生物多様性との関係―
キチェ文化の記号とシンボルを明確化し、カトリック教会の宗教的儀礼に導入する。
・ 聖体拝受の祭礼における、和解の儀式と祈りの言葉
・ キチェ語での讃美歌の作曲と編曲
・ キチェ文化の記号とシンボルを用いた秘跡(婚姻、堅信、叙階、洗礼)の祝福
・ ロザリオの祈りとVia Crucisの作成
・ 神の言葉を民族文化に適合させる
・ 物語、歴史、詩などの文化に適合した形への修正
・ 聖体拝受の祭礼における備え物に関する考察―色付きのろうそく、樹脂(copal、コパル)、香(incienso)、緑の松、水、砂糖
・ マヤのキチェ文化の記号とシンボルの神学的考察に向けて、コミュニティの構成員の教育と研修
・ マヤとしての使命の意味を考察するために、毎年一回、若者を対象とする会合の実施
・ 民族文化の豊かさを知る―歴史、マヤ暦、社会組織、家族、儀礼・祭礼、世界観―
・ キチェ文化の様々なテーマの深化―マヤ暦、秘跡の儀式、ミサ、ロザリオの祈り、物語、民族の歴史、信徒会(cofradia)、夢の意味、コミュニティの守護聖人の祭礼における神の言葉の音読、マヤの聖なる書籍である『ポポル・ヴフ』の現代キチェ語のアルファベットへの書き換えなど。
・ 聖職者の教育におけるキチェ語の使用
・ マヤの世界観からの「神の言葉」の再考
・ 舞踊を通じた我々の文化の価値観を伝達
・ 教区の学校における二言語教育への助言
・ キチェ文化に内在する価値への意識を高める
・ 89年にこの仕事を始めるにあたり、最初にこのチームを構成したのは初等教育の3年か4年を修了した者ばかりであったが、今では同じチームで働く人間は、教師、大学生、及び中等教育の学生たちである。イエズス会の人々の到着と献身によって、私たちキチェのサンタ・マリア・チキムラのトニカパンに住む先住民の文化の現実に基づいた教化への気運が生まれた。
・ 彼(女)らは私たちに、調査を実行し、最も聖なるものである我々の祖先の「先住民としての生き方」に出会うよう、進むべき道を照らし出してくれた。
マヤ暦
マヤ暦は、家族、愛情、商取引などの問題に簡単な解決策を探し求めるための水晶球ではない。魔法書や預言書の類でもない。民族の精神性の一部分であるマヤ暦に、もしこのような先入観を持って近付くならば、それは間違った道である。マヤ暦には未来を予言するための仕組みが備わっているわけでもない。マヤの精神や暦は、未来の出来事を現実の人々の状況から切り離して予言しようとはしない。
また、この暦の仕組みに表現されるマヤの精神性は、他人を痛めつけるためのものではなく、破壊的な態度でこれを用いてはならない。まして、マヤの精神性は神秘のベールに覆われた見世物ではないので、単なる好奇心からこれに近付くことは避けなければならない。このような態度は、私たちの社会を文化の面からも信仰の面からもより豊かにするマヤ民族を、笑いものにし、傷付けていることになる。民族の暦という知識にこのような貧しく惨めな態度で近付こうとするならば、それは私たちの祖先からの聖なる遺産を冒涜していることになる。
マヤ暦はメソアメリカの諸民族が共有する時の刻み方の中でも最も完成度の高いものであり、この仕組みはマヤ民族の活動で最も重要なサイクルがどれかを指し示し、マヤ民族が世界、神、人間をどう見ているかを反映している。特にこの暦は、マヤの人々が個人間の関係、個人と自然の関係、個人と神の関係などについて均衡を維持するための、聖なる特徴を持った太陰暦である。
これは、マヤの人々が彼(女)らの祖先から受け継いだ「精神の方法(metodo
de espiritualidad)」であり、幾代にもわたり熱心に伝えられてきた。この暦はまた、家族や民族の儀礼と精神の導きに関する枠組みを与える。マヤ暦の知識の中に入り込むことで、マヤ民族の世界観に入り込むことが可能になるのである。
ここに書き記すのは、自身の、他人の、そして民族の平和を望み、かつ追求する人々の一助とするためである。この精神的導きを手にすることで、自らの権利を守りナショナリティーを構築しようと望むこの民族をよりよく理解する助けになることを望む。このマヤ民族の精神性の泉から水を飲もうとすれば、彼(女)らとの連帯の可能性が開かれるであろう。
この文章は暦の各日の意味を説明しているが、これは文献の調査に基づくものではなく、我々のコミュニティの導き役であり、実直さと私利を捨てた貢献によって選ばれたお年寄りの人々Chuchqajawへの聞き取り調査によるものである。録音されたインタビューは、キチェ語に書き起こされ、その後にスペイン語にほぼ逐語訳された。従って、先住民の言語に親しんでいない読者の中には、夢、筋肉の収縮、気候の変動などを暗示させ、かつ頻繁に繰り返す方法を変だと思われる者もいるかもしれないが、これはマヤの世界にとって予兆として神の言葉を告げる深い意味を有している。従って、この暦を用いることは、神の意志を判別しそれに導かれるための方法なのである。
第三の方法がTzolkin或いはCholq'ujと呼ばれるもので、これは一年より短い太陰暦である。これは260日から成り、以下の表に挙げられたシンボルと名称の循環(ローテーション)である。このひとつの単位は20日からなる。
つまり、循環はこの20の名称から成る。さらに、これに対して1から13の中の数字を加えるが、これを数字の循環と呼ぶ。
このように、二つの循環を組み合わせることで、聖なる暦が進行していく。この始まりはWajxaqib'
B'atz'(八つの糸或いは猿)であり、これが太陰暦の新年である。この暦は月の周期に従って日を数えるため、月の状態を判断し、従って、種まきから植付けまでの周期、及び雨季、寒さ、暑さ、乾季などの自然現象のサイクルを判断するのに用いられる。また、時間を測る道具として役立つ以外にも、人の「運命」を判断し、精神的状態を知る道具としても用いられる。それぞれの日には、名称と数字の組み合わせによって、正邪何れかの力を持つ精霊が割り当てられているからである。
我々の祖先が信仰していた神々
マヤ民族が神についてどのような概念を持っているかを考慮せずに、マヤの暦について語ることは出来ない。宗教はマヤの暦、科学、芸術などと同様に、他と孤絶された独創的なものではなく、アメリカ大陸の諸民族の長い歴史の中で生まれたものであり、その歴史の中から現実を見るための多数の方法が生み出されてきたのである。すべてが何らかの共通する側面を有している。例えば、マヤの暦もアステカの暦もその基盤として、これらの民族が発達させ共有した20進法を有していることを指摘することは重要である。これと同様のことが、世界と神の概念についても言える。
我々の祖先によれば、宇宙は天、地、及び下部世界からなる連続的な空間として理解されている。天は13の層からなり、各層はひとつの神によって治められている。これらの神はOxlajujtikiと呼ばれる集団を構成している。天を全体として統治する神はItzamna'と呼ばれる。天と下部世界の中間に位置する空間が地であり、それ自身はほとんど見ることの出来ないもうひとつの層として存在している。地の下には、9つの階からなる下部世界が存在し、各階は「九人の夜の領主(Nueve
Senores de la Noche)」のひとりずつによって支配されている。これらは同様に全体としてB'elejtikuと呼ばれる集団を構成する。
宇宙を構成するそれぞれの層の角は、それぞれが四方のひとつを示し、決められた色をひとつ持っており、これが神の行為が世界に現れる様相に影響を与える。

(一番上の点)
東(RELB'AL Q'U)
日の出
神の誕生と生
赤色 |
(中心)
天の中心−地の中心(Uk'u'x Kaj-Uk'u 7x Ulew
(中心の左の線上)
人間の道
(中心の下の線上)
神の道 |
(右)
南(UXUKUT ULEW)
地の側
人間の死
黄色 |
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北(UXUKUT KAJ)
天の側
人間の誕生と生
白色 |
(右から上に向かう矢印)
人間が死ぬことで神が生き続ける
(下から左に向かう矢印)
神は死ぬことによって与える |
(下)
西(QAJB'AL Q'U)
日没
神の死
黒色 |
上図のように、赤色は東と関係があり、日の出(relb'alq'ij)又は神の誕生を表している。黒色は西とつながり、日没(qajb'alq'ij)又は神の死を表している。東から西へとつながる道は神が進む道である。興味深いことに、赤と黒はサンタ・マリア・チキムラの女性及び他の多くの高地部で見られる衣装の色である。赤のguipilは首の部分に日の出をかたどった刺繍を持ち、黒の部分には虹をかたどった刺繍がある。
白色は北であり、これは天(Uxukut Kaj)或いは人間の生を表す。そこにはマヤ民族の起源であるTula(Tulan)があり、我々の祖先はそこから来たとされている。黄色は南であり、これは地(Uxukut
Ulew)或いは人間の死を表す。この色は、死者を弔うための蝋燭の色であり、死の花の色でもある。
この北から南への道は、人間の辿る道である。『ポポル・ヴフ』によれば、私たちの祖先の肉は、白トウモロコシと黄トウモロコシから作られた。人間の道つまり人生は、神の場合と同様に生と死から成る。神は生を創るものであるために死を知っており、また死を通過したがゆえに生を知っている。これらの二つの道が交差する点に、天の中心―地の中心が存在する。
これはそれぞれ、青色と緑色によって表される。中心は青色によって統治されており、Itzamna'が存在する場所を表している。これが天の中心(Uk'u'x
Kaj)である。中心は緑色によっても統治されており、これは天と下部世界をつなぐ聖木である大きなカポックノキ(ceiba)が存在する場所として捉えられている。これが地の中心(Uk'u'x
Ulew)である。この中心に、神の生と自然に参加する人間がいて、人間の生と自然に参加する神がいる。
我々の祖先は多くの神を信じていたのではなく、すべての生物の創出者であり形成者である唯一神を信仰していた。ただ、神を幾つもの姿で認識し、生活の中の出来事、歴史、創世などに神の様々な行為を見出していたのである。
Itzamna'と共に、母なる月であるIxchelは母なる神の現身であるとされ、我々の祖先においてはより大きな信仰の対象であった。『ポポル・ヴフ』の双子の英雄であり、Xib'alb'a、Jun
Keme、Wuqub' Kemeなどの諸侯を打ち破ったJun AipuとIxb'alamqeも、天の中心と地の中心を統一する人物として我々の祖先の信仰を集めていた。
神の現世における様々な姿をとった現れという公的な信仰に加えて、家事やその他人々の生活の道具に結びついた形での神の行為への信仰が、より広範で一般に普及した形で存在する。これは、神が、トウモロコシ、織物、出産、火、商いなどの中に、自らの姿を私たちに現すというものである。また、死者をめぐっては、これを神の世界とつながりを持つ精霊であるとする一連の信仰も存在している。これにより、古代マヤの統治者の多くは、自らを祖先と並べる形で表し、これによって神の世界の一部をも占めようとしたのである。王は死に際して神として認定され、信仰の大部分は国家によって振興されたものであった。
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