『先住民族の10年News』第110号(2004年12月11日) 先住民族の遺産に関する横田・サーミ文書と日本の先住民族政策にとっての意義 手島 武雅 2004年7月19日から23日までジュネーブの国連欧州本部において国連人権小委員会の 「先住民に関する作業部会」(以下、WGIP)が開催された(注1)。WGIPの「現況の 検討」任務の下での今会期の主要テーマは「先住民族と紛争解決」であったが、もう 一つの任務である「規準設定」の下で「先住民族の遺産保護に関する原則と指針の草 案の提出と検討」が行われた(議題5(b))。このための「指針」と題する作業用文書 (以下、「横田・サーミ文書」)が、横田洋三委員とサーミ評議会によって共同提出 された(注2)。議題5(b)に割かれた時間は、22日朝の「先住民族の日」と「国際10 年」の祝典を挟んで、21日の夕刻に約40分、22日の午前中に1時間15分という短いも のであったが、「先住民族の遺産」という課題は、日本の現在および今後の先住民族 政策を考える上で重要な意義をもつと考えられる。本稿では、紙幅の許す範囲で横田 ・サーミ文書を議場での意見を交えながら紹介し、現在の日本の先住民族政策、特に 「アイヌ文化振興法」に対してもつ意義について若干のコメントを行いたい。 「先住民族の遺産保護」という課題に関しては、WGIPの前議長であるエリカ−イレー ヌ ダイスが人権小委員会の特別報告者として1995年に最終報告書を作成し、遺産保 護のための原則と指針、さらには国連機関の間の協力を検討する技術会議の開催など を提案していた(注3)。しかし、人権委員会は、ダイス提案に対して何の行動も起 こさず、いわば「放置」したままであった。2000年に遺産保護の指針に関する国連セ ミナーが開催され、これを機に、ユネスコや生物多様性条約に関する機関、世界貿易 機関、世界知的所有権機関(WIPO)などの国連機関が、「伝統的知識」、「伝統的文 化表象」、「文化遺産」などに関する問題に注目を寄せるようになってきた。それで も、これらの機関の活動は、ダイスおよび国連セミナーの原則・指針案に十分な配慮 を示すものとはなっておらず、人権や他の面での先住民族の関心事を必ずしも考慮し てはいない。議場からも、例えば、WIPOの指針はバイオパイラシーを止めさせるには 不十分であるとの発言がなされた。横田・サーミ文書は、WIPOによる人権高等弁務官 事務所との協力を求める先住民族組織の声にも言及している。 このような「伝統的遺産」保護に関する最近の国際的な展開について概観した後、横 田・サーミ文書は、先住民族の「文化遺産」保護のための新たな国際法文書と機構の 必要性を論じている。ここでは、WGIPによる遺産保護のための原則・指針案の早急な 再検討を提案しているが、同時に、それを行う際に、特に先住民族と国家との間で見 解が異なり、争点となる課題を列挙している。いくつかの例を挙げると、「文化遺産 」の定義、文化遺産および自決の権利と天然資源に対する国家主権との関係、文化遺 産保護に対する「自由で、事前の、情報に基づく同意」原則、先住民族の慣習法と文 化遺産保護との関係といった課題が含まれている。 しかしながら、ここまでの検討に基づいて、「先住民族の文化遺産の保護が先住民族 の権利、自決権のみならず、特に土地権と文化権の保護に密接に繋がっていることは 明白であり、このことは、この遺産の保護のための権利基盤をもつ法文書を練り上げ ることの重要性を強調している」と結んでいる(同文書、8ページ、第29段落)。 横田・サーミ文書は、最後に、WGIPに対する4点の勧告を挙げている。すなわち、@ 原則・指針案を基に先住民族の文化遺産保護のための指針を作成すること、A将来、 多国間条約へと発展させる可能性を開くために、これを法文書の形で行うこと、B国 連諸機関の仕事を人権に基づくアプローチを確実にしながら統合する包括的な保護体 制の構築を要請すること、C国連諸機関間の協力を促進する方法に関する技術的セミ ナーの開催を検討することである。 横田委員のプレゼンテーションとサーミ評議会代表の補足の後、焦点のずれた発言も あったが、11人が発言し、総じて、同文書は他のWGIP委員と先住民族代表の双方から 好意的に受け取られた。ハンプソン委員(イギリス)は、必要とされる国際法文書に 関して、宣言や条約よりも早急に採択し易い指針の作成を強調した。また、先住民族 の代表たちは、「先住民族の権利宣言」の迅速な採択の必要性を訴えた。 このようなコメントを受け、横田委員は、上述の包括的なアプローチによる権利基盤 をもち、かつ実効性のある国際法文書を作成する必要性を再度強調した後、先住民族 共同体によって所有されている先住民族の文化遺産は先住民族の慣習法に従って保護 されるべきであり、ハンプソン委員も指摘したように、人類の共通遺産と先住民族の 遺産を混同してはならないと述べた。また、利益の共有に関しても、先住民族の伝統 と規則に基づく「自由で、事前の、情報に基づく同意」が基本であるという点でハン プソン委員と意見を一致させた。横田委員は、ダイス文書から9年が経った今、彼女 の仕事を発展させるべきであるという指摘で発言を終えた(注4)。 注2に記したモトック委員とテブテバ基金との共同作業もそうであるが、この横田委 員とサーミ評議会の共同作業も人権小委員会およびWGIPの歴史においては画期的なこ ととして評価できよう。壇上の議長の隣に両者が座って発言する光景を見ると、先住 民族代表の発言に対する蔑みの空気がまだまだ漂っていた初期の頃とは隔世の感がす る。これを先住民族の「取り込み」としてシニカルに見るよりは、少なくとも手続き 的な面においては先住民族の見解を尊重しようという人権小委員会の態度表明として 評価する方が建設的であろう。 10年前、いや5年前ですら、文化遺産保護のみに焦点を当てて新たな国際法規準を作 成するということは、先住民族にとって最大の関心事の一つである権利宣言の採択過 程から、ただでさえ不足している彼(女)らの人的、財政的、その他の資源を拡散さ せてしまい、焦点をぼかしてしまうという懸念が今以上に感じられたであろう。しか し、現実問題として、本稿を執筆している今、ジュネーブでは「先住民族の権利宣言 」を巡って熾烈な攻防が展開されているが、土壇場での「大番狂わせ」がない限り、 迅速な、かつ先住民族が望む形での権利宣言採択の見通しは限りなく暗い。 一方で、WGIPの最終日に、マルティネス議長が、前日のニューヨーク本部での経済社 会理事会の「先住民族の第二次国際10年」に関する決定を報告した。「権利宣言作業 部会」の行方と関連しているとは言え、これもどんでん返しがない限り、12月の国連 総会中に、2005年1月からの「第二次国際10年」の開始が決定されるものと思われる。 こうした状況で、先住民族の側においても、あくまでも権利宣言を目標におきながら も、別の側面からの「攻撃」を展開するべく、新たな戦略を練る必要性が出てきてい るものと思われる。その一つの可能性が、ここで取り上げた「文化遺産」を巡る、実 際には古くて新しいアプローチにあるのではないだろうか。 この国においては、1997年に「アイヌ文化振興法」が成立した際に、北海道ウタリ協 会は、同法がアイヌ民族の権利に全く言及していないという欠陥を指摘しながらも、 一定の受容方針を示し、権利問題をその後の国連での検討の成果に委ねてきた。今や、 日本政府によって推薦された人権小委員会の専門家が、文化遺産の保護は、先住民族 の自決権や土地・資源に対する権利と不可分の関係にあると明言しているのである。 横田・サーミ文書に表明されている見解の重みは、日本政府も容易には否定したり、 無視することはできないはずである。「アイヌ文化振興法」の廃止あるいは改正を含 めて、「権利基盤をもつ文化遺産保護」政策の実現に関心を持つアイヌ民族や沖縄の 先住民族にとって、予期されうる「第二次国際10年」の開始を機に、この文書と今後 の過程を積極的に利用しない手はないのではなかろうか。横田委員には、自己の見解 を実践するためにも、国内でも先住民族と協働で、十分に活動されることを期待した い。 マルティネス議長は、サーミ評議会以外の先住民族組織の見解を盛り込んだ報告書の 提出を要望して議題5(b)を終えた。来年のWGIPでも「先住民族の遺産保護」という 課題は継続的に取り上げられる予定である。 注1.これに先立ち、前週の15、16日の2日間、「先住民のための国連任意基金」と「 先住民(族)の国際10年のための国連任意基金」に関するセミナーが開催された。こ のセミナーとWGIPにおける琉球弧の先住民族会を中心とした活動の報告については、 それぞれ、本誌第107号の内田誠「先住民基金と先住民10年基金」、大城尚子「第22 回国連先住民作業部会に参加して」を参照されたい。 注2.U.N. Doc. E/CN.4/Sub.2/AC.4/2004/5.「規準設定」作業の下では、先住民族 の土地や天然資源に影響を及ぼす開発に対する先住民族の「自由で、事前の、かつ情 報に基づく同意の概念に関する法律的注釈」も議論された。これは、I.A.モトック( Motoc)委員(ルーマニア)とテブテバ基金(Tebtebba Foundation、フィリピン)の 共同作業による暫定報告書(E/CN.4/Sub.2/AC.4/2004/4)を基に行われた。 注3.U.N. Doc. E/CN.4/Sub.2/1995/26. 注4. U.N. Doc. E/CN.4/Sub.2/2004/28(マルティネス議長によるWGIP第22会期報告 書), pp. 15-16も参照。 (2004年11月30日脱稿)