日本という国家は、人種主義を根底にもつ巨大な暴力装置である—今、私たちは、その暴力の暴走を許してしまうかどうかの大変大きな分岐点にある。今国会で、与党・政府は、「国民の敵」をつくりあげ、その「敵」から「国民を守る」という口実を用いて、日本にファシズムを再生し、より強大な権力を手にすることができる数々の悪法を成立させようとしている。
憲法を改定し、軍隊の保有を可能にするための国民投票法案が成立したり、また、在日米軍再編にもとづく在日米軍基地と自衛隊基地の強化が進んだりすれば、日本は米国による軍事戦略にますます組み込まれ、「戦争ができる国」に大きく近づくだろう。教育基本法の改定は、「国の言うことを聞く人間」たることを人びとに強制し、「戦争ができる国」をつくるための人材育成を進めるだろう。共謀罪の新設は、「国の言うこと」を聞かず、これらの方向性に反対するあらゆる運動体への管理・弾圧の道を開くだろう。そして入管法の改定は、国家が、外国人に「危険分子」というレッテルを貼って差別を強化し、上記の方向性を推進し治安を強化するためのスケープゴートとして利用し、その権力を拡大することを正当化するだろう。
多数派(マジョリティ)をだまし、権力基盤を維持拡大するために、国家が被差別マイノリティをスケープゴートとして利用してきたことを、歴史も物語っている。関東大震災の際の在日コリアン虐殺、被差別部落に対する差別にもとづく見込み捜査やでっちあげ逮捕、国家による、在日コリアンの子どもたちに向けられる暴力の容認・煽動、「テロリスト」と見なされた外国人の誤認逮捕といった事実があることを、肝に銘じたい。歴史はまた、国家の暴力性を露呈した立法がなされた時に、差別が強化され、周辺諸国に対する攻撃・侵略が行なわれてきたことを明らかにしている。私たちは、治安維持法を含む過去の治安立法が、最初は必ず、多数派の市民が「納得」する対象—「危険分子」とレッテルを貼られた集団—に向けて発動されてきたことを知っている。
今国会で政府・与党が成立を急ぐ「悪法案」を検証し、また、歴史を振り返ると、国家は、「国民の敵」をでっちあげ、人びとにその幻想を植えつけること—人種主義・人種差別的であること—なしに、その目的を達成できないことが分かってくる。
入管法の改定案は、「テロの未然防止」を口実に、日本に入国する十六歳以上の外国人すべてから指紋や顔写真などの提供を義務づけ、その情報を犯罪捜査にも「活用」するというものだ。ここ数年、政府・与党は、ことあるごとに「外国人は危ない」という喧伝を推し進めてきた。法務省入国管理局と東京入国管理局、東京都、警視庁が、「不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」を合同で発し、法務省入国管理局のウェブサイト上に「不法滞在外国人情報」の匿名通報システムが導入された。街角では、「不法滞在外国人」一掃を呼びかける入管のリーフレットと、「不審な外国人を見たら110番」と呼びかける警察のビラが、セットで配布されてきた。
また、殺人事件の被疑者が外国人と分かったその翌日に、検挙件数だけをもって「外国人犯罪の増加」を主張する偽りの警察統計が発表され、報道がそれを垂れ流してきた。入管法の改定は、そのようにして人びとに刷り込まれてきた、「外国人は危ない」という虚構の上に、入管と警察が連携する巨大なシステムを構築するものだ。それは、人種主義・人種差別の制度化そのものである。
「共謀罪」の新設は、「国際的な組織犯罪の防止」を口実に、2人以上が「犯罪の計画」について話し合い「合意」しただけで、その実行をともなわなくても処罰することを可能にする。国家が、運動体・活動家の監視・統制を進めるために、これほど都合のよいものはない。その過程で、マイノリティは、「国家統一」の障害として、まず監視の対象にされるだろう。その観点から、「共謀罪」の新設と入管法の改定の問題とをあわせ捉えると、入管法改定で「国民の敵=外国人」という虚構がつくられ、それをいとも簡単に「犯罪者」に仕立て上げることが制度的に許される社会の到来が透けて見えるのである。
IMADR-JCは、歴史と現状を踏まえ、マイノリティの視点から、入管法の改定と共謀罪の新設の廃案を求める。国家が人種主義を制度化することを、許してはならない。
2006年5月1日
反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)