日本の司法はまたしても、自らが差別を助長、永続化する機関であり、えん罪の疑いに対して誠意ある姿勢を示す意思と能力を持たないことを明らかにし、差別をなくすための最後の砦としての責任を放棄した。反差別国際運動(IMADR)は、最高裁判所第一小法廷による本日の、狭山事件の第二次再審請求棄却に対する異議申立棄却を受けた特別抗告の棄却決定に強く抗議する。同時にIMADRは、司法の判断が差別に基づく臆断を排除していることを立証する責任は、差別された側ではなく司法権の側こそにあることを再度強くうったえる。
無期懲役の判決を受け仮釈放まで32年間を獄中で過ごした石川一雄さんは、事件発生から42年が経とうとしている今も無実を叫びつづけている。その間、被差別部落に対する差別的な見込み捜査や報道が原因となって石川さんが逮捕されたこと、警察留置場(代用監獄)での長期にわたる脅迫的な取調べにより嘘の自白を強要されたこと、また、えん罪を疑わせる数々の証拠が明らかになり、過去の裁判に過ちがあったことが指摘され続けてきた。
にもかかわらず日本の司法当局は、検察側の手持ち証拠を弁護団に開示することを拒み続けており、えん罪の疑いを公開で検証する道を閉ざしている。IMADR は日本の司法当局に対し、狭山事件に関する検察の手持ち証拠を開示し、28年間閉ざされてきた再審への道を開き、石川一雄さんに正義をもたらすよう今一度強く求める。
日本の政府当局もまた、死刑判決が下された30数年の後に再審の結果無罪となるケースが相次いだにもかかわらず、誤判救済、えん罪防止のための適切な措置をとることを怠ってきた。警察は、被疑者を起訴、裁判なしに最長23日間、警察の管理下に拘禁することを可能にする制度(代用監獄制度)を維持し、警察による取調べを録音、録画しない上に、取調べを制限する規則をも制定していない。個人が国連・自由権規約委員会に直接通報を行なうことができる制度を定めた自由権規約の第一選択議定書の批准や、政府から独立した国内人権機関の設置などは、そのような問題の改善につながると考えられるが、政府はこれまでに十分な方針を示していない。IMADRは、国際的な人権基準に則ってこれらの制度を早期に改善することを求める。
狭山事件をはじめ世界各国における数々の事例が、特定の集団に対する社会的差別とそれを反映する司法運営や警察制度が並存した際に、一人の人間にどのようなおそろしい運命をもたらす可能性があるかを物語っている。インドのダリット(カースト制度下で「不可触民」として差別されている人びと)は罪をでっちあげられ逮捕されたあげく、拷問で命を奪われている。欧州などのロマは、警察により「危険を及ぼす可能性がある」として個人情報を登録され、警察の暴力を受けている。米国をはじめとする各国のイスラム系の人びとは、とりわけ9.11事件後に同様の取り扱いをされている。各国の移住労働者や難民申請者をはじめとする外国人は当局や市民により排斥されている。そして、司法は往々にして差別を行なった当局の責任を「免責」している。
世界各国で警察が、人種、民族、出身国などをもとに対象を選定した捜査を行ない、司法が、差別にもとづく捜査当局の臆断を排除する機能を果たしていない実態を憂慮し、国際社会はさまざまな対策を講じている。2001年に開催された反人種主義・差別撤廃世界会議や国連人権小委員会では「人種主義と司法運営」が世界的な問題として扱われ、国連・人種差別撤廃委員会は、近年採択したいくつかの一般的勧告において、同様の問題について各国政府に適切な措置を講じるよう求めている。同委員会が本年8月に、「司法制度の機能と運営における人種差別の防止に関する一般的勧告」を採択する見通しもある。また、証拠開示や代用監獄制度などの起訴前勾留手続きについて国際的な人権基準の求めるところは、もはやはっきりしている。
最高裁判所による本日の特別抗告棄却は、そうした国際社会の努力をもないがしろにし、石川さんをはじめ世界各国でえん罪を闘う人びとの希望を踏みにじる非人道的な決定である。日本の司法ならびに政府当局は、石川さんの無実を含む誤判を救済し、えん罪を防止するためのあらゆる適切な措置を早急に講じることによってしか、もはやその失点を回復することはできない。
2005年3月17日
反差別国際運動